大正
14 年 10 月 20 日 京都府船井郡園部町 生まれ
略歴
昭和 18 年 3 月:旧制・京都府立園部中学校 卒業
同 26 年 4 月:園部町議会議員当選
同 33 年 11 月:園部町長当選
同 42 年 4 月:京都府議会議員当選
同 53 年 10 月:京都府副知事就任
同 58 年 8 月:衆議院議員当選(1 回目)
同 58 年 12 月:衆議院議員当選(2 回目、衆議院逓信委員会理事等歴任)
同 61 年 7 月:衆議院議員当選
(3 回目、衆議院建設委員会理事・党地方局長、党国会対策副委員長等歴任)
同
63 年 12 月:建設政務次官就任
平成 2 年 2月:衆議院議員当選(4 回目、党通信部会長等歴任
)
同 3 年1月:衆議院逓信委員長就任
同 3 年 11 月:自由民主党総務局長就任
同 5 年 1 月:衆議院建設委員長就任
同 5 年 7 月:衆議院議員当選(5 回目、衆議院予算委員会理事等就任)
同 6 年 6 月:自治大臣・国家公安委員長就任
同 7 年 9月:自由民主党幹事長代理就任同
8 年 10 月:衆議院議員当選(6 回目)
同 9 年 4 月:議院日米安保土地使用等特別委員長就任
同 9 年 11 月:自由民主党京都府支部連合会会長就任
同 10 年 7 月:国務大臣・内閣官房長官就任
同 11 年 1 月:沖縄開発庁長官就任
同 11 年 10 月:自由民主党幹事長代理就任
同 12 年 4 月:自由民主党幹事長就任
同 12 年 6 月:衆議院議員当選(7 回目)
同 12 年 12 月:自由民主党行政改革推進本部長就任
同 12 年 12 月:自由民主党京都府支部連合会会長代行就任
同 13 年 4 月:自由民主党総務
同 13 年 6 月:党沖縄振興委員長就任
同 14 年 2 月:党男女共同参画推進協議会会長就任、地方制度調査会委員
同 15 年 1 月:党公務員制度改革特別委員長就任
同 15 年 4 月:全国土地改良事業団体連合会会長就任
同15年10月:
衆議院解散をもって 52 年にわたる政治家生活に終止符を打つ
「現 職」
全国水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)会長
社団法人日本中国友好協会、名誉顧問、京都府土地改良事業団体連合会会長
京都府内水面漁業共同組合連合会会長、京都府身体障害者団体連合会会長
京都府スケート連盟会長、京野菜を育てる会会長
社会福祉法人「京都太陽の園」理事長等
講演要旨
政治信条:「愛のない社会は暗黒であり、汗のない社会は堕落である」
25 歳で園部町議に初当選。以来、町長、府議、副知事を経て衆議院議員に。地方政治 32 年、国政 20 年、半世紀以上にわたる政治家生活のそれぞれの立場で
培った独自の地方論や、国政における裏話などを展開。
第二次世界大戦の末期、19 歳で召集され高知で終戦を迎えた経験から、当時の異常な世相と、今の日本の状況がダブって見える。このまま日本が再び愚かな戦争
への道を歩むことのないように警鐘を鳴らす。
現在のブッシュ政権の一辺倒の外交姿勢を痛烈に批判し、漢字文化を共有する中国・韓国をはじめ、近隣諸国との間に横たわる古い傷跡を一つひとつ修復しながら、アジアは一つという共通認識のもと、友好親善をはからなけ
ればならない。
また、地方切り捨て、弱者切り捨てともいえる社会情勢、そして「規制緩和」・「構造改革」という美名の裏側に、アメリカを中心とする外国資本があり、全ての分野にその影響力が拡がりつつある我が国の現状を憂い、
ものを言わなくなった日本人に奮起を促すとともに、旧きよき日本の姿を見直し、先人たちが守り、遺してくれた 国土・伝統・文化を後世に伝えなければならないと訴える。
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